◎第1部総会 |
〇会長あいさつ | 会長 澁谷周年(13期) |
この度会長に就任しました澁谷でございます。本日は令和元年度の総会を開催いたしましたところ岡本同窓会本部会長様と光永校長先生にはお忙しい中をご出席を賜り誠にありがとうございます。また会員の皆様にも多数ご参加を頂きありがとうございます。
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会長の任ではないと固くお断りしたのですが、先日の役員会で強く懇願されまして会長を引き受けました。微力ではございますが、皆様のお助けを頂きながら近畿繊月会の運営と発展に努める所存でございますのでどうぞよろしくお願いいたします。
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〇同窓会本部会長あいさつ | 同窓会本部会長 岡本光雄氏(17期) |
昨年の10月、前任の鳥井会長の後を受けまして会長に就任しました岡本でございます。
17期の卒業で廣田監事さんと同期であります。人吉市の九日町で商売を致しておりますが、息子に商売を任せることになり少し時間が出来ましたので会長をひきうけました。前鳥井会長の方針を受け継ぎ同窓会の運営に努めて参りますのでよろしくお願いいたします。少子高齢化の時代、会員の減少等同窓会の運営は難しいものがありまして、福岡支部などは現在活動が中断しております。何とか再建をと卒業生の発掘中でありますので福岡、山口地方に同窓のお知り合いがございましたらお報せ下さいますようお願いしたします。
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また、私はかねてから元読売巨人軍の監督で打撃の神様と言われている川上哲治氏の顕彰活動を致しておりますが、今年は川上哲治氏の生誕100年の記念すべき年であります。
川上哲治氏は濟々黌に入学されすぐに熊本工業に移られますが、実は人吉高等学校の前進であります人吉中学にも一時期在校されておりました。従いまして卒業されております熊本工業の了解も取り付けましたから以後人吉高等学校の同窓生として扱うこととしました。
生誕100年を記念してお配りしております資料のとおり記念展示や記念野球試合の開催等を計画しておりますので帰省の折はぜひお立ち寄りください。
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終わりに近畿繊月会のますますの発展と会員の皆様のご健勝ご多幸お祈り申し上げましてお祝いのあいさつとさせていただきます。
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〇本校校長先生あいさつ | 人吉高等学校校長 光永幸生氏 |
去年も出席しました人吉高校の校長をしております光永幸生でございます。現在熊本県では高校総体が開催されておりまして昨日もギリギリまで熊本に居りましたので酒迎え会は失礼いたしました。人吉高校はこの高校総体でも大活躍をしております。カヌーは本日の決勝戦に進んでおります。
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また、学業の面におきましても連続2年東京大学に合格者を出すなど見事な成績を挙げております。昔のようにラサールや熊高に進学する学生は居ません。それどころか熊本市や他県から人吉高校に来る学生が増えています。資料の2019年度の学校要覧をご覧ください。この資料は近畿繊月会の総会に間に合うように急いで完成させたものでございましてこれが本邦初公開であります。13ページをご覧いただきますと卒級生の進路が書いてありますが、国公立大学83名、私立大学に178名が合格し、17名が公務員となっています。
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高校の教育は来年度から大きく変わりますが、現在人吉高校では、「BYH・3つの力・笑いあふれる学校」をモットーに不偏性・時代性・地域性を考慮した魅力ある学校づくりに努めております。4年後の創立100周年をめざして県内初の「論理コミニュケーション」、「BHYプログラム発表会」、「エンパワーメントプログラム」、「オーストラリア語学研修」を導入し人高から世界へ羽ばたく人材の育成に努めて参ります。卒業生の皆様のご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
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〇報告 | 事務局長 内田憲幸(10期) |
平成30年度は会費や協賛金で150万円余の収入がありましたが、総会懇親会費や事務費等で110万円余を支出し40万円ほどが次年度に繰り越されています。収支計算書の次に協賛者一覧を報告しておりますが、この協賛金が会の運営の大きな支えとなっております。協賛いただきました会員の皆様に厚くお礼を申し上げます。
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別の封筒で「青井神社国宝指定10周年記念事業期成会」の(仮称)青井の杜国宝記念館新築工事協賛金申込書をお配りしておりまがすが、後ほど懇親会の席で募金箱をお回しいたしますのでお志を頂きますようお願いいたします。後日本日の募金に当会の予算から一部補填して青井神社に持参したいと考えておりますのでご賛同いただきますようお願い申しあげます。
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〇古里講話「犬童球渓の生涯」 | 地名民俗研究家 前田一洋氏(7期) |
昨年のこの総会で宿題を出しておきましたので皆さんがその宿題をして来ておられるかが楽しみでありますと、去年に続き郷里の偉人犬童球渓先生の話をされました。
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犬童球渓先生は、明治12年3月20日球磨郡藍田村西間(現在人吉市西間)で生まれ高等球磨小学校を卒業後渡小学校等で代用教員をしておられましたが、その才能を買われ熊本師範から東京音楽学校に進まれました。音楽学校卒業後兵庫県の柏原中学校に音楽教師として赴任されますが、音楽など受け付けない日露戦争後の蛮勇の風潮に荒れる中学生の対応に苦労され、1年も経たないうちに同校を退職し新潟県の県立新潟高等女学校に再就職されました。男子校と違い音楽に理解を示す女学校で先生はその才能を遺憾なく発揮されます。その頃に作詞されたのがあの「旅愁」と「故郷の廃家」であります。皆さん中学時代に戻りこの2つの歌を歌いましょう。
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〜前田一洋さんのピアノ伴奏、光永幸生本校校長先生指揮で全員で2つの歌を歌う〜 |
明治41年郷里熊本の県立高等女学校に転勤され大正7年には人吉高等女学校に赴任されます。そこで作詞作曲されたのが宿題の「県立人吉女学校の校歌」であります。それでは宿題をみなさんで歌いましょう。
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〜再度光永校長先生が壇上に上がり指揮、前田さんのピアノ伴奏で初めて「人吉高等女学校の校歌」を歌う。〜
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〇OB講話「映画北辰斜めにさすところから五代友厚へ」 | 監事 廣田 稔氏(17期) |
北辰では、五高、七高の旧制高等学校を描きました。
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エリートと言われた学生が本物のエリートに成長するには、旧制高校性が実際に体験したように「天才的なバカになれ、バカの天才になれ」と先輩に叱責され、努力してむしろメンバーの一員であることの大切さを確知することが必要です。
全メンバーの一員であることを認識するエリートの証しであることを知り、先輩達は友を思い人を愛し、大人となっていったのです。
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五代友厚は、儒教、武士道の限界を知り、英国で資本主義の力を感じ取ります。他の長州幕府のエリート達とは違い、同時に資本主義の力を使う人間の教育の大切さを知って、その上で他者貢献を目指して、種々活躍されました。
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我々五代友厚プロジェクトは、本物の大人の生き方を学ぼうと思い、ここ6年間、五代さんの人生検証をし、グロバリズムの中での教育のあり方、ポピュリズムの危険性についても論議してきました。
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それを今秋皆で映画化します。皆さんも御参加ください。
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