熊本県立人吉高校同窓会「近畿繊月会」
熊本県立人吉高校同窓会「近畿繊月会」
|今日・明日の天気予報|週間天気予報|
ふるさと・人吉
定期総会ご報告
役員ご紹介
事務局だより
ウォーキングだより
人吉リンク集
お問い合わせ
第15回総会
第13回定期総会ご報告
去年は陽気に包まれた節分の日に行われたが、今年は2月10日、約80名が「道頓堀ホテル」に集まり開催された。

寺床住夫本部会 長
生憎前日の朝から降りだした雪のため出席者の足が危惧されたが、空路が若干の延着程度で事なきを得た。会員には数名に影響があったが、市街地の積雪5pは13年ぶりだったようだ。本会の創立総会となった《阪神淡路大震災被災者慰労会》の朝も同様な積雪に輝いていたのが思い出された。その際は趣旨に賛同した66名が大阪市南端の「あびこ職員会館」に集まったが、現在もそのメンバーの大半がこの会を成している。
大川英登幹事(18期)の威勢良い司会でこの会の目玉が始まる。
尾家亮副会長(8期)開会の辞を述べ、物故会員 椎葉哲朗・牧俊介(共8期)さんに全員で黙祷を捧げ冥福を祈った。
■第1部  講 話
@OB講話 「紙のよもやま話」丸尾敏雄氏(7期)「紙の博物館」顧問学芸員
「紙とは何か」の定義にはじまり歴史、現況、将来さらには資源保護から環境問題へと展開。「トイレットペーパーは流せるがティッシュは流せない何故?」「辞典用紙とタバコの巻紙との関係」「模造紙は何を真似たか(日本製紙坂本工場で初めて製造)」「和紙と洋紙の違い」「投票用紙の質」「paperの語源パピルスは紙ではない」等など盛りだくさんな内容で進み、貴重な話の数々に日ごろ何気なく使い捨てている紙に関して無知であり、又その大切さを痛感した。時間不足で残念。
丸尾敏雄講師
A古里講話 「球磨盆地の民俗 春夏秋冬」前田一洋先生(7期)
去年古里であったこと、行われたこと、これから惹起するであろうことの説明や問題提起があり、引続き古文タイムに移行。明治の徳富翁が書き残した「熊つれづれ咄」を資料に、当時の球磨の年中行事の記事を噛んで含んで解説された。風土や伝承行事が数々残る球磨盆地は「九州の遠野である」とも評されてきたのだが、これらがいつの間にか忘れ去られ滅び行くことに歯止めをかけ、如何にして伝え残していくかと、渋谷先生を始め地域の古老たちによって一部の幼稚園等でも継承の努力がなされているようだが、古里文化の存続の必要性を強く感じた。この活動の支柱が前田先生なのである。
先生は「じいちゃん・ばあちゃんのふるさと絵本@じゃったじゃった」を昨春出版されたのに続き、第2弾「そぎゃーそぎゃーA」もこの2月末に店頭に並んだ。先日届いたがこちらも大好評のようだ。懐かしく親近感のある挿絵は遠くなった昔の景色の中に友や肉親が浮かび、読者が随意で塗り絵を楽しむようにとカラーと白黒で創られていて、孫たちとの会話が沸きそうだ。会場でこの第2弾を紹介したところ、殆どの人達が購入申込し、第1弾もとの要望もかなりあったが「再刊予定無し」とのことで答えられず残念。なお、この本のまえがきには渋谷先生から「読後のつぶやき」が寄せられている。本編のあとがきに「球磨人吉地方の戦中戦後のくらし」も刊行準備中とあり楽しみだ。
このような活動に加えこの度球磨焼酎のPR曲を作り、焼酎学校の校長にも就任され、毎年地元新聞の「球磨弁笑科大学」で本総会の模様を詳細に伝えて頂いている。
B特別講話 「肥薩線開通100周年」 渋谷 敦先生(中14期)
明治44年(1908)肥薩線が開通して この度100周年を迎えるが、その歴史について語られた。汽笛一声新橋を…は明治5年(1872)、下がって門司〜八代開通が明治29年11月、ところが福岡、佐賀、熊本、長崎の有志で組織されたこの会社に延伸計画は無かった。これに先立ち後の地元選出衆議院議員・渋谷礼や樅木義道たちが政府に働きかけ続けていた。明治22年、宮崎、鹿児島、熊本の知事の合議が成立し、肥薩への延伸運動が展開される。明治27年渋谷礼の奔走で第1期着工線に昇格。途端に水俣を通る海岸線と人吉〜吉松の山間線とに昨日の友たちの主張が別れ激しく対立した。
渋谷礼は山間線の先頭に立ち渋沢栄一、大隈重信、尾崎幸雄、犬養毅らを次々に歴訪、なかでも参謀本部の寺内正毅大佐(後に元帥・陸軍大臣)に艦砲射撃を受ける恐れの海岸線より、食料補給基地として球磨に鉄道を通しておくことの必要を説いた。そして「陸軍は断固山間線を支持する」との発言を得た後、伊藤博文総理らを訪問し、明治34年(1901)八代〜人吉間(51.8q)のトンネル掘削に着工した。
山と川に阻まれた天険の地での作業は困難を極めたがなかんずく矢岳トンネル(延長2096m)掘削はその極まりで悲しい歴史も残った。この貫通を最後に明治42年(1909)11月21日人吉〜吉松間が開通、既に人吉〜八代は前年5月31日に通じていたのでここに肥薩線(当時は鹿児島本線)が完成した。矢岳第一トンネルの入口(人吉側)に「天険若夷(険しい山地も平地のように越えられるようになった)」出口(吉松側)には「引重致遠(この開通で重い貨物も遠くまで運べるようになった)」の石額が有り、そこには着工時の逓信大臣・山県伊三郎と開通時の鉄道院総裁・後藤新平の銘がはめ込まれていて、この地を案内する「いさぶろう・しんぺい号」の列車名と共に往時が今に残る。
山間線は最高勾配33%8,672,301円、海岸線は25%14,214,406円を工事に要したが、鉄橋やトンエルに給水塔など沿線施設に当時世界一流の技術を駆使した鉄道であるから「文化遺産」として是非残さねばならないと締めくくられた。
■第2部 挨拶・報告
坂田征機副幹事長(14期)に司会が替わり挨拶・報告が行われた。         
まず、内田憲幸会長(10期)が開催出来た喜びを場内に感謝し、 寺床住夫本部会長(10期)より本部及び各支部の活動状況が報告 された。職務多忙で欠席の本校校長に替わり西田宏伸先生(総務部 長24期)が在校生現状、活動、進学就職などの動向を話された。 お話では近畿に30余名が進学するようだ。
来賓挨拶が終わって事務局の一から活動、決算が報告され承認された。
■第3部  懇 親 会
休憩の後、栗崎景明幹事(13期)に司会のバトンが渡り懇親会開始。
☆乾杯:服部史郎相談役(2期)が発声
☆達者賞贈呈:この賞の対象になる方が久しぶりに参加された。木村節さん(女10期)は昭和3年の卒業で96歳。閉会までかくしゃくとしてお付き合い頂いた。
☆記念品贈呈:講師やご来賓5名の方へ記念品を若い女性会員が贈呈。
☆校歌斉唱:人中歌に続き渋谷先生作詞の生徒歌を来賓の西田先生の指揮で斉唱。
☆中締め:甲斐 泉幹事長(2期)の発声で行われた。
☆自己紹介:テーブル別に全員が一言一分間の前提で行うが個性有るスピーチの連続で大変盛り上がった。
☆勝ち抜きジャンケン大会:久保田保義氏から寄贈された「白磁の壺」を先ずテーブル毎に競い、その勝者が壇上で勝負するが、決戦は丸尾講師が一発で決着し獲得、これは初めて。
☆大阪締め :廣田 稔監事(17期)が大阪商人の手締め「うーちましょ・・」を主導。
☆閉会の辞 :白石玲子副会長(10期)が総会の閉会挨拶を行い終了は16時。
★2次会宴席にはたっぷり酒があったのでたんまり頂き過ぎたか、外気が冷え災いしたのか参加者は20数名と例年に比べ半減。
唄と雑談に愚痴まで加わりお開き解散 18:45
◇番外編1 酒迎え
総会前日、文献に相良藩大坂蔵屋敷有りと記されている「玉江橋(福島区)北詰」に関空の迎えに立った坂田幹事長と先生方をガイド。
作家魂が騒ぐのか、旅の疲れも、年男も感じさせない足取りで、小雪舞い暮ゆく川辺一帯を撮り、歩きつつ黒ずんだ堂島川に古里の球磨川を繋いでいにしえを想い語られた。(今年はどちらも7回りと6回り目の年男にあたる。)
「落ち行く先は・・・」が演じられていたという道頓堀五座の一つ「竹本座」跡を探したところ、夕食会場「がんこ寿司道頓堀店」脇のビル蔭に小さな石柱がひっそり佇み私たちを待っていて喜ばれた。これで渋谷先生からの今回の宿題が概ね解けた。
万事がスムースに流れ昼間の冷気に応える燗酒も旨く、旧交の席が盛ったのは勿論である。水掛不動参拝後、全員が「夫婦ぜんざい」を食べ、解散は9時。
◇番外編2 名残会
総会の翌日11日、案内予告の「ちりとてちん」を 「菩薩巡り・奈良偏」に変更。小型バスに講師方以下17名が乗り込み、先ず雪に燦く信貴山「朝護孫寺」に 参拝。次なる「秋篠寺」へと車を向けたが、信貴山生駒スカイラインが残雪で通行不可の看板。隘路に行き はぐれの車も加わり抜け出るのに手間取り、急遽興福寺へと走った。ようやくガイドの白神さんと合流し、亀でも有名な「猿沢池」を歩きながら池に浮かぶ「五重の塔」をバックに1枚撮ったが、これは奈良の代表風景である。この池巡りは渋谷先生の希みだったが何でじゃろうかは聞き忘れた。境内の「塔の茶屋」で名物の濁り酒つき「茶粥膳」。少し温もって春を呼ぶ「お水取り」が近づく「二月堂」へ。
もう既に紅蓮の炎の大竹が京から届いていた。5kmに1時間を要し「秋篠寺」へ、この渋滞は今回の雪と共に想定の外。「秋篠寺」では小川正則さん(8期)のお勧めで南門から入ると、鬱蒼とした樹木に囲まれて国宝の本堂があり「東洋のミューズ」にやっとお目通り。
“たをやかに小首かしげて笑みかへす 
技芸天女に陽はかげりゆく
奈良秋篠寺で一句  敦
が後日早速届いた。
全行程が無事終了出来ましたことをご報告し、ご支援頂いた皆様に深謝致します。
年齢の多少(?)に拘わらず、肩肘張らない「屋台のコップ酒」をイメージしながら運営しています。次回は平成21年2月8日(第2日曜日)が総会予定日となります。
総会は勿論、番外の「酒迎え・名残会」へは何方でも参加出来ますのでご連絡下さい。
事務局長 一省吾