第14回定期総会ご報告 |
| 近畿繊月会の第14回定期総会は、平成21年2月8日日曜日、大坂南の「道頓堀ホテル」で60数名の会員の参加のもとに盛大に開催されました。その状況につきましては以下のとおりでありますから報告致します。
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◎開会 |
| 総会は辻英昭幹事(13期)の司会で開会され、尾家亮副会長(8期)が開会の辞を述べ物故会員 園田照(女16期)・堀川幹夫(8期)両氏の冥福を祈り黙祷を捧げました。
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◎第1部 講話 |
@OB講話「地震を知り、地震に備える」元京大教授・地震センター所長伊藤潔氏(15期) |
| 地震には2つの意味があり地面が揺れる(地震動)と地中の破壊現象(震源断層)があるが、日本はプレートの収束域にあり日本列島自体が収縮しているので地震が多い。そしてその地震にはプレート間地震と内陸地震の2種類があることが最近判った。地震の予知は大地震の場所と大きさは予測できるようになったが日単位の予知は今のところ出来ない。緊急地震速報は地震の予知ではなくて「揺れ」の予知であり大きな被害をもたらす「S波」の到達前に地震発生を知らせる方法である。地震の人的被害は家屋の倒壊・火災によるものが殆どなので家屋の強化が大事であるが、要は日頃から地震起きたらどうするかを考えておき自分の安全は自分で守ことである。
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A古里講話「球磨弁クイズで遊うでみゅうい」地名 民俗研究家 前田一洋氏(7期) |
| はじめに熊本県知事の画期的な「川辺川ダム凍結宣言」にはじまる古里ぶえんニュースがあり、次に本題の「球磨弁クイズ」に移り球磨盆地の人たちが昔話しておられたとおりの発音でテキストを読まれ標準語で言えばどういう意味か回答を求められたが、参加者一同0点に近い成績で会場は笑いに包まれた。それでも前田さんの軽妙な説明を聞いて前田さんの著作どおり「じゃった、じゃった。」となつかしく思い出し忘れ去られようとしている古里の言葉を如何にすれば残せるかを痛感させられました。
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B特別講話「大坂と相良藩」 渋谷 敦 先生(中14期) |
| 相良藩は2万石の小大名ではあるが、関が原の決戦にも大坂夏の陣にも参戦しておりその奮闘ぶりは物凄く相良藩の700年存続の礎を築いた。寛政12年参勤交代が義務づけられると相良の殿様は250人の行列を整え江戸まで40日間の大名行列を繰り広げた。江戸屋敷の維持には莫大の資金が必要であっが、相良藩も全国のほかの大名と同じく大坂に蔵屋敷をおいて天下の台所といわれた大坂で商売をして金を作っていた。文久2年には大坂商人の近江屋八衛門から1万両借りたとの古文書が存在するが、大坂と人吉の関係は深いものがある。ついでながら、寅助火事の時相良藩は肥後細川藩に借金を申し入れたが細川藩からは断られ薩摩藩の28歳の若き家老小松截帯刀は一つ返事で5千両を貸している事実がある。
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C誌上講話「球磨女風土記」 人吉市文化財保護委員 井上道代(19期) |
| 今回初めての試みとして総会議事資料に井上道代さんの人吉三賢の妻のひとり「西南の役の事後処理に苦労された相良 簡の妻新宮 敏」についての文章を掲載させていただきました。
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◎ 第2部 挨拶・報告 |
| 渋谷周年幹事(14期)に司会が代わり各種挨拶・報告が行われました。
冒頭内田憲幸会長が開会の挨拶をし、次いでこの度本部会長に就任されました川野惟精氏(6期、翠嵐楼会長)から本部及び全国各支部の活動状況が紹介されました。その後、本田朝英人吉高等学校教頭から在校生の現状、活動、進学就職状況について説明があり、更に今回特別に東京支部から参加された内田昭男氏(15期、東京支部事務局長)から挨拶がありました。 |
| 来賓挨拶終了後、一省吾事務局長(9期)から活動、決算が報告され承認されました。
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◎第3部 懇親会 |
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司会が甲斐泉幹事長(2期)にバトンタッチされました。
| ☆乾杯: | 服部史郎相談役(2期)の発声で乾杯をして懇親会が開始されました。 |
☆記念品贈呈: | 講師とご来賓6名の方へ若い会員から記念品が贈呈されました。 |
☆校歌斉唱: | 人中・人女校歌の斉唱後、作詞者渋谷先生の指揮で人高生徒歌「連なる山山並」が参加者全員により斉唱されました。 |
☆中締め: | 甲斐幹事長(2期)の発声で中締となりました。 (盛り上がり過ぎて毎回行われる期別紹介は流れてしまいました。) |
☆勝ち抜きジャンケン大会: |
| 久保田保義氏から寄贈された「白磁の壺」他の賞品を獲得するべくテーブル毎にジャンケンをし代表が壇上で決戦をしました。 |
☆大坂締め: | 廣田稔監事(17期)大阪締めで総会を締めくくりました。 |
☆閉会の辞: | 白石玲子副会長(10期)が閉会挨拶をして総会は無事終了しました。
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◇番外編1 酒迎え |
| 総会前日内田会長と坂田幹事長が先生方を天保山に案内、海抜2.7メートルの山の上
からら人吉相良藩の船が入港していた天保山港を眺めながらはるか江戸時代に思いを馳せ
ました。 |
| その後道頓堀の「がんこ寿司」に場所を移し、酒迎えの宴で再会を祝した後、恒例の水掛地蔵参拝を済ませ「夫婦善哉」でぜんざいすすり腹を満たして翌日の総会の成功を祈りながら散会しました。
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◇番外編2 名残会 |
| 総会の翌日9日、小型バスで渋谷先生以下17名は江戸時代大阪から都京都に上る淀川沿岸を走り京都の入口伏見港や肥後橋、篤姫輿入れのおり一時逗留した薩摩藩伏見屋敷跡等を見学しました。その後京都大学に行き、京都大学時計台塔の下にあるレストラン「ラ・ツール」で昼食、ここだけにしかない京大ビールを賞味しました。以後バス組は大原三千院観光に出向き渋谷先生は別行動で京都女子大学や肥後藩京都屋敷跡を見学されたましが、夕方合流し高瀬川源流にある旧角倉了以屋敷跡の「がんこ寿司二条苑」で京料理に舌鼓を打ちました。偶然この日は舞子さんのサービスがある日で舞子さんと記念写真をし、舞子さんの踊りを鑑賞する幸せに恵まれました。 |
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| 概略以上のような次第で全日程が無事終了致しました。ご支援いただきました皆様に深謝申し上げ報告とさせていただきます。来年は平成22年2月14日(日)に総会を予定しております。総会は勿論番外の「酒迎え・名残会」へは何方でも参加できますのでふるってご参加下さい。
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