熊本県立人吉高校同窓会「近畿繊月会」
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第22回定期総会のご報告
平成29年度の近畿繊月会総会は、平成29年2月12日(日曜日)大阪市中央区城見の「ホテル・ニューオータニ大阪」プリムローズの間で会員等56名の参加のもとに開催されました。その状況について下記の通り報告いたします。
□開会司会:蔀 義規(19期)
黙  祷:この1年間に物故された会員のご冥福を祈り参加者全員で黙祷を捧げました。
会式の辞:馬場マサ子副会長(14期)が開会の挨拶
第1部  講 話
ふるさと講話  「肥後さがら路のおごちそう」(要約)  前田 一洋氏(7期)  
はじめに、古里ニュースとして
@人吉市役所の移転新築が決定したこと
A犬童球渓記念館が完成したこと
について紹介され本題に入られた。
〜昔しゃ何食うたっちゃンまかった〜
@田植え時などの忙しい時期には○茶のこ○朝めし○よけまん○昼めし○茶まん○晩めし
○夜ながれと1日に7回ママを食べてがまだしたものである。
A板敷の上でみんなが揃って箱お膳を据えてたり円盤台でご飯を食べたものである。
○ご飯は御ひつや飯カゴに入れられオカズは梅干しやラッキョウ塩コンブだった。
B海がない山国なのに蛸やクジラを食べていた。
○魚をメゴに入れた行商人が廻って来て金が無くても米や麦と現物交換で海のものを手に入れることができた。貴重な塩イワシは骨まで食べたものである。
C村祭りやお祝いごとがあるときはごちそうを作った。
○紅白の餅やボタ餅、ダゴ饅頭を作り卵を産まなくなった鶏をつぶして食べた。ごちそうは煮染めや酢の物、ツボん汁等であった。
D味噌も醤油も自家製で味噌漬けや醤油の実、香の物がおごちそう。
○温っかメシにたくわんや白菜高菜の漬物は最高であった。
E小正月には餅をついてしゅんなめじょを作り村中をモグラ打ちをして回った。
○小正月の餅で作ったアラレや?き餅がおごちそう。
F夏の土用にはシジミ貝、コヒナやタニシもよく食べた。
○川岸針やウナギてごでウナギを捕り、大水が出れば濁り掬いで鮎やイダを捕まえた。
G親父の気付け焼酎の肴はいつも塩クジラ、何も無ければセスジ(ダシジャコ)。
○焼酎の燗は囲炉裏の直火で、飲み方に行くときは何時もガラ一つ抱えて行く。
H季節の野山のおごちそう。
○盆柿、ふゆ柿、きゃーら柿、干し柿、あおし柿、土手にはツバナやさとがらシーカンポ、山にはウベやあけびが鈴なりでこれらみんながおごちそう。
I時の物は薬になる。
○タケノコもらえば時寿司を作り、ワラビもぜんまいも芹ものびるもドウゼン(ウド)ダラの芽、山椒の実みな季節季節の嗜好品。
○バアサさんの町の土産はオコシとにっけ玉、言うことを聞いたら町に連れて行く。
○バナナやリンゴがほしくて仮病になったものだ。遠足や運動会の時しかない玉子焼きもおごちそう。
○密造のどぶろくを作り稲こずみに隠したものだった。
○コタツの中で一晩で気付け薬の甘酒をも作ったものだ。
○あの頃は何時も飢えていたから何を食ってもうまかった。
○学校から帰ると探すのはまず食べるもの、カライモ焼きや焼きダゴ、ソーダー饅頭が有ればいいところ。
OB講話 「木の声を聞こう」  大川英登氏(18期)
私は50歳から里山の保全や森林の保全のボランティア活動を実施してきて今年でまる 20年を過ぎました。活動を通じて色々なことを感じてきました。山の現状を知り今後どうすべきかなどの点について木の声、山の声としてお伝えしたいと思います。
本題をお話しする前にちょっとだけ高校の生物の授業の復習をしてみたいと思います。
先ずは植物の生育環境についてですが、植物が順調な生長をするためには@光環境、A水環境、B大気の環境、C温度環境、D土壌環境が重要かと思います。
近年、CO2の増加による温暖化現象が叫ばれているのは皆さんご存知かと思います。 人口の増大や科学の発展に伴う化石燃料の使用量の増大、熱帯雨林の減少が大きな原因だと言われています。
世界ではCO2を減らすために2015年にはCOP21(国際気候変動枠組み条約) パリ協定が結ばれ、今まで不参加であった米国も中国も参加しました。
次に植物の役割についてですが、@CO2とO2のバランス、A食料の生産者、B燃料、C涵養林、D建築材、E生活への潤い、F生態系の維持など重要な役割があります。 人は何の意識もないまま呼吸をしていますが、光合成で得られるO2がなければ生きては いけません。食料を生産できるのは植物だけです。動物は消費するだけです。植物の生育 環境を良くし植物の役割を理解することが大事なことをご理解いただけたと思います。
ここから本題に入りたいと思います。
森林がいま大変荒れた状況になっておりピンチです。ある檜林の現状ですが、森の中は 真っ暗で日の光が差さず草木が全く生えていません。植えた木は二股に分かれ、枝は下部 から伸びており材としては不良品です。林床は石ころばかりでまるで河原です。
森林荒廃の原因は@安価な外材の輸入、A人件費の高騰、B後継者不足などが言われて おり採算が合わなくなり植林後の手入れをしなくなってきました。その結果がスライドの ような状況です。
対策としては@植林、A草刈り、B枝打ち、C間伐、D伐採(商品として)のサイクル をきっちり守っていくしかありませんが、小規模な地主はボランティアに頼るしか方法が なく、私たちの出番がここにあります。
同じことが里山でも起きています。里山とは@奥山と里地の境界線(人間界と動物界の 境界)、A燃料の供給地、B山菜の採取地、C肥料にする落ち葉の採取地、D建材の採取地、 E生態系の維持に重要な地などです。荒廃の原因は@燃料革命で薪炭が不要になった、A 後継者不足となったなどです。その結果里山に人が入らなくなったのでサル、イノシシ、 シカなどの害獣が増加し生物多様性が失われてきた。対策としては@タケ、ササ、樹木の 伐採と除伐、A常緑広葉樹と落葉広葉樹の植林とバランス、B林床に日が当たるようにす るなどがあるが、こちらもボランティア活動に頼るしかない状況です。
地球環境を守るためには幅広い分野でのボランティア活動が大切です。
■第2部挨拶・活動報告
会長代行挨拶会長代行 坂田征機(14期)
公私ご多忙の中、この冬一番の寒波にもかかわらずご出席をいただきありがとうござ います。近畿繊月会は阪神淡路大震災に対する同窓会本部からの救援金の送付を契機として活動を再開いたしましたが、再開以来22年、会員の高齢化が激しく年々参加者が減少しています。会員の皆様ひとりひとりが若い同窓生の発掘に努めていただきますようよろしくお願い申し上げます。
本部理事長挨拶鳥井正徳氏(9期)
去年の東海繊月会の総会の時は台風で飛行機が飛ばず行くことが出来なかった。今回も全国的に大雪の予報で来ることが出来るかどうか心配したが無事来ることが出来た。母校人吉高校は同窓生である深水校長先生の指導よろしきを得て進学就職においても体育文化活動においても県下有数の状況でまさに万々歳である。今年のノーベル化学賞の候補に同窓生の松村保広氏がノミネートされ発表を待ったが惜しくも選に漏れられた。来年度に期待すること大である。
この度5年ぶりに機関紙を発行するが、ご協力のおかげで立派なものができた。2万数千部を印刷し全国に送付しなければならないが、相当の費用を必要とする。機関紙の送付と同時に協賛金をお願いするがよろしくご協力をお願いする。
本校校長挨拶深水裕二氏(32期)
現在人吉高校には7クラス3学年総数765名が在学している。在校生の勉学部活動に対する取り組みは実に意欲的で立派な成果をあげていて県下で5本の指に入る状況である。昨年度は前年同様100人を超える122人が国公立大学に合格し、186人が私立大学に合格した。共通一次が終わった段階であるが今年も前年を上回る状況にある。共通一次で県下で一桁に入る830点取った生徒もいて初めて京都大学の医学部に現役で合格できそうである。
部活動においても県大会で優勝し全国大会に出場した個人やチームも多くまさに文武両道を地で行っている。
報告決定事務局長   内田憲幸(10期)
連絡の取れる330名余に案内状を出したが、173通の返事があった。死亡した人や高齢で施設に入ったから以後案内不要という人もいて会員の高齢化が甚だしい。若い会員の補充が喫緊の課題である。
会の経理については資料添付の28年度収支決算表のとおりであるが、多くの協賛者のおかげで良好な会の運営がなされている。
「内田会長の後任に坂田征機会長代行が就任し、坂田副会長の後任に大川英登(18期)が就任する。」案が満場一致で承認された。
第3部 懇親会
司会  細田尚子幹事(24期)
☆乾  杯:服部相談役(2期)の音頭で乾杯、懇親会を開始。
☆お土産品贈呈:来賓と講師に記念品贈呈
プレゼンター 佐野すみ子(24期) 浮田もりよ(28期)津幡千百合(29期) 井上 弘美(32期)
☆久しぶりに参加した人と初参加者が壇上に登り挨拶
吉田 幹夫(5期)佐藤しなえ(22期)宮田 信治(22期)黒田純子(22期)
☆大坂締め:廣田 稔監事(17期)
以上で総会本番終了
◇番外1【酒迎え】  総会前日  11日
総会前日の11日18:00~20:00の間、松下MIDビル26階アサヒビアレストランで鳥井本部理事長、深水校長、前田一洋氏夫妻を迎えて15人で酒迎え会を開催しました。
そもそもこのビルは創建当時の大阪城の中に建っていて、眼下に大阪城が見えその向こうにNHK大阪支局と大阪府警察本部を見ることが出来る。ライトアップに照らされる大阪城を眺めながらその横にある大阪城ホールのあるところが軍事工廠で戦後長く米軍の爆撃跡が残されていた話や、郷里人吉の高原海軍航空隊飛行場工事に学徒動員された話など服部相談役や甲斐幹事長、西田頼昭氏等の昔話に聞きほれました。
◇番外2  [名残会]  総会翌日  13日〜再び真田丸ゆかりの地を訪ねる。
去年は見なかった真田幸村が活躍した大阪の陣の中心地大阪城を見学する計画をしていたが、時間の都合で断念し、一挙にすべてが展望できるアベノハルカスに直行した。アベノハルカスからは眼下に徳川家康が本陣を敷きあわや討ち死にという状況に立ち至った茶臼山を見ることが出来る。そのはるか向こうに大阪城の天守閣望めその中間点に去年歩いた真田丸跡が見える。ここからであれば大阪の陣の様子が錦絵のごとく想像されて戦の阿鼻叫喚のオメキ声が聞こえるような気もしてくる。
計画では真田幸村の隠世地九度山に行く予定であったが、折からの豪雪で九度山は積雪のため歩行が困難とのことなので急遽予定を変更、講師の希望もあり世界最大の仁徳天皇御陵もある百舌鳥古墳群の見学に赴いた。ここでもいちいち古墳を見に行くより堺市役所の展望室からだと多くの古墳が一望できる。大阪の陣を遡ること1000年前、どうしてこの地域にこのように多くの古墳が作られたのだろうと不思議になる。ここ堺は茶道の開祖千利休のゆかりの地であり人吉ともゆかりのある与謝野晶子の出身地でもある。もっと見学したいところだが時間の関係でこれにて名残会は終了となりました。
以上