◎第1部総会 | |
@会長代行あいさつ | 服部史朗(2期) |
近畿繊月会は阪神淡路大震災を契機に再発足し「決して再休眠をさせてはならない。」を合言葉に会員相互の友好交流に努めてまいりましたが、少子高齢化の時代を迎え他の同種団体と同じように会員の高齢化は否めず会員の減少と活動の低下を招いております。
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そのため今年は平成23年に発行されました卒業生名簿を洗い直し近畿地方在住の卒業生に総会開催の案内状を出しました。その結果9名に初参加がありました。
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早急に新しい会長を選出して執行部体制を確立し会の活性化に務めなければなりません。今回多くの初参加の会員がありましたことを教訓に更に新会員の発掘に務め近畿繊月会の拡大発展のためにご協力いただきますようよろしくお願いいたします。
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A来賓あいさつ | |
〇人吉高等学校同窓会会長 | 鳥井正徳氏(9期) |
18日の大阪北部の地震で近畿繊月会総会の開催を心配しましたが、このように無事開催されますことを心よりお祝い申し上げます。この春校長先生が替わられましたが、皆様の母校人吉高等学校は優秀な成績を上げております。在校生や卒業生の活躍につきましては校長先生から話があると思いますが、心配なのは球磨人吉のことであります。
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球磨人吉の人口の減少は甚だしく若くて元気な働き手が不足しております。東京大学の合格者を出すなど優秀な人材を輩出しておりますが、その多くが東京や大阪で就職し残念ながら故郷には帰りません。古里球磨人吉の再興と発展のために優秀な人材の里帰りを切望する次第であります。
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〇校長先生あいさつ | 光永幸生氏 |
この春の異動で人吉高等学校の校長に就任いたしました光永でございます。残念ながら人吉高校の卒業ではありませんが、かって13年間人吉高校で教鞭をとっていましたので人吉高校の凖同窓生だと思っています。子供たちも球磨弁ですし人吉を第2の故郷だと思っております。その懐かしい人吉高校に校長として再度赴任することができまして本当にうれしく思っております。
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ところで在校生の活動状況ですが、今年は50年ぶりに東京大学の医学部に合格者を出したのをはじめ多くの国公立大学や有名私立大学に合格者を出しております。また公務員試験にも多くの合格者を出しました。これは熊本市内の熊高や濟々黌に次ぐ合格者であり皆様の後輩が頑張っている証拠であります。
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勉強ばかりではありませんで、体育や文化のクラブ活動におきましても全国大会や九州大会で入賞するなど華々しい成績を挙げております。
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これら業績を引き継ぎ更に向上させてまいりますのでこれまで同様在校生へのご支援をよろしくお願い申し上げます。
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B報告事務局長 | 内田憲幸(10期) |
会員の減少と会の活動の停滞を打破することを目的として今回は案内状を従来把握の会員230名余に加えて新たに平成23年に発行された卒業生名簿から近畿在住の同窓生を抽出し465名の方に出しました。その結果190通の返事があり55名の方が総会に参加されました。このうち9名の方が初めて参加された方でこれほど初参加者が多いのははじめてのことであります。今後も更に会員の拡充と会の活動の活発化を図り会員相互の友好交流と母校人吉高等学校の発展のために務めてまいりますのでご協力をよろしくお願いいたします。なお、会計報告と昨年度の協賛者につきましては資料に示す通りであります。
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C講演 | 前田一洋氏(7期) |
〜演題「郷土の偉人・犬童球渓」〜
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犬童球渓先生は明治12年西南戦争の2年後、人吉城大手門の前でお生まれになりました。球磨高等小学校を卒業後16歳の若さで渡小学校の代用教員となられましたが、成績が優秀なことから有志の支援で熊本師範学校に進まれました。師範学校を卒業され宇土の網田小学校に赴任されましたが、翌年熊本県の推薦で東京音楽学校に進まれ更に音楽の道を究められ兵庫県の柏原中学や新潟県立新潟高等女学校で教鞭をとられました。この間あの有名な「旅愁」や「故郷の廃家」の名曲を作られました。その後郷里に帰られ球磨人吉の子弟の音楽教育に務められ人吉中学の校歌など多くの曲を作っておられます。
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ここで私がピアノを弾きますから全員起立してこの歌を歌い郷土の偉人犬童球渓先生を偲びましょう。
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〜全員起立して「旅愁」と「故郷の廃家」斉唱〜
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Dミニコンサート | 出演 沢井 明氏 |
人吉高校27期卒業のティチクレコード沢井明さん(本名内布正敬)が持ち歌の「あまのじゃく」や「東京海峡」等を約20分間のわたり歌とトークで熱唱され大喝采を受けられました。
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