物語「絵本太功記 尼ヶ崎の段」

本能寺の変、そして光秀母子は…
武智光秀(明智光秀)は主君小田春長(織田信長)の暴虐を見兼ね、天下万民のためと信じてこれを討つが、封建道徳にきびしい母の皐月は、主君に反逆した光秀を許さず、尼ケ崎に隠居する。
そこへ光秀の妻・操が息子の十次郎の許嫁・初菊を伴って見舞いに訪れる。十次郎も出陣の暇乞いに来る。皐月の計らいで十次郎は初菊との祝言をあげ出陣する。
一方、真柴久吉は、光秀の旧臣に追われ、旅僧の姿で皐月の家に逃げ込み一夜の宿を乞う。
久吉を追ってきた光秀は、竹槍でここぞとばかり、障子越しに久吉を突くが、そこにいたのは母の皐月であった。そこへ瀕死の十次郎が帰ってきて、もはや戦況は絶望的であることを告げる。
皐月も十次郎も死んでしまい、人々の諌めを聞きいれなかった光秀もついに涙を流す。そこへ久吉が現れて、後日、天王山で再び会うことを約束して去っていく。

出演者プロフィール

友和嘉会 舩橋美和(太夫)
明治20年頃、神山町の高橋璃月氏が鬼笑会を興し、昭和45年に豊澤町子師匠を指導者として「喜笑会」と改める。町子師匠は那賀町(旧相生町)生まれで、昭和23年豊澤町助師匠に入門し同27年、豊澤町子を名乗る。半世紀にわたり公演活動を続け、数多くの後継者を育て阿波人形浄瑠璃の継承に貢献した功績が認められ、2013年度地域伝統文化功労者表彰を受賞。
現在は、町子師匠の弟子、町若が後継者として指導に当たっている。
竹本友和嘉(三味線)
豊澤町子に師事し、昭和51年初舞台。平成8年鶴澤友路師匠(人間国宝)に入門し、平成9年竹本友和嘉を名乗る。東京国立劇場や国立演芸場での演奏会をはじめ数多くの海外公演にも参加。また小中学校対象の「義太夫節のワークショップ」をはじめ 、義太夫教室や阿波路会を開催。
平成14年に人形浄瑠璃因協会奨励賞、平成21年には人形浄瑠璃因協会女子部門奨励賞、平成29年にとくしま芸術文化奨励賞を受賞。重要無形文化財(総合認定)保持者。
勝浦座
江戸時代の寛政年間にできた徳島で最も古い人形座のひとつ。「国村久太夫座」として村の若者たちによって発足し、天保の飢饉で中断し明治の初めに復活した。昭和6年、村の農村舞台の火災で座の頭・道具等を焼失して休止状態となるが、昭和21年に吉井(現・阿南市吉井町)の人形座の道具一式を買い取って復活し、現在の「勝浦座」となる。上演外題は28演目におよび、国内外で上演。
昭和51年から毎年、徳島市八多町の「犬飼農村舞台」で人形浄瑠璃を奉納している。

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