大和路見聞録

大和の伝統工芸

赤膚焼

桃山時代の大和郡山城主、大納言秀長の庇護と、江戸時代の小堀遠州の指導もあって生まれた。遠州七窯のひとつとして知られ、萩釉を主体とする茶人好みの茶陶類を制作している。奥田木白(寛政12年〜明治4年)が出て赤膚焼の名声は一層高まった。現在は花器、置物なども作られている。

一刀彫り

奈良人形ともいう。平安時代末に、春日大社若宮の祭礼(おんまつり)に田楽法師花笠に飾った能楽人形(木隅)が始まり。岡野松寿家代々の研鑽努力と江戸末期の巨匠で狂言師でもあった森川杜園にっよって完成された。単純明快な刀法の上に繊細な極彩色を施した作品は、他に類をみない芸術品となっている。能や狂言、舞楽を題材にしたものの他、鹿や十二支などの動物を扱ったもの、雛人形なども作られている。

奈良漆器

正倉院宝物殿にある螺鈿(夜光貝を模様に切って桧木地の上に貼り漆で埋めて磨き出したもの)や金銀平脱・平文(金銀の板金を螺鈿同様に扱ったもの。又は金銀の板金が浮き上がるようにしたもの)などの華麗な天平文様と技法、中世社寺の祭器や什器に用いられた朱塗・黒塗(根来塗)などの技法をもとに、現代に適合する茶道具類や文箱等を制作している。

奈良墨

空海が唐から製法を持ち帰り、興福寺二諦坊で造ったのが始まりとされている。墨には松脂を燃やして造る「松烟墨」と菜種や胡麻、桐の油を燃やして造る「油煙墨」があるが奈良墨は南都油煙墨とも呼ばれた。天正年間になって松井道珍(古梅園の始祖)が出て良質の油煙墨を幕府に献上し南都墨の声価を高めた。現代でも全国のシェアの大半を占めている奈良の代表的伝統産業である。

奈良筆

墨と同様に、空海が唐で学んだ製法を伝えた。大和国今井の酒井名清川に作らせ、嵯峨天皇に献上したのが始めと伝えられている。その子孫によって今井町で作られていたが、次第に墨の産地でもあり、寺院などの需要の多い奈良で作られるようになった。空海が伝えたのは芯に薄く衣毛をかぶせて穂をつくる巻筆と呼ばれるものであったが、江戸元禄期になって現在のような芯のないものが作られるようになった。奈良筆は昭和52年に国の伝統工芸品の指定を受けている。

古楽面

古楽面は、推古天皇の時代に仏教とともに仏教美術の一つとして日本に伝へられた。その大半は正倉院、法隆寺、東大寺、春日大社などに宝蔵されているが、それらの伎楽面、舞楽面、能狂言面や行道面(仏像その他の信仰対象を寺外に持ち出して練り歩く行事に用いられる面)、仏像の頭部などを研究し装飾面として制作されている。単なる奈良のみやげ品としてではなく、室内装飾用の工芸品としての評価を得ている。

高山茶筅

室町時代、大和高山(生駒市高山町)城主の弟、鷹山民部丞宗砌が現在の茶筅の型を作ったとされ、称名寺ゆかりの茶人、村田珠光によって京へ広められた。その後千利休を頂点とする茶道の隆盛により、村をあげて茶筅つくりに取り組むようになった。現在も全国の需要のほとんどを生産している。昭和50年に国の伝統工芸品の指定を受けている。

奈良団扇

天平年間に春日大社の神官が軍扇の形に習って作ったのが始まりとされている。当時は実用本位の渋団扇だったようだが、現在は天平文様や奈良風物を透かし彫にした優雅な団扇となり、装飾品としても愛用されている。また赤膚焼きのモチーフとしてもおなじみの「奈良絵(過去現在因果経から出たと言われている)」を版画した「奈良扇子」も作られている。

象牙揆鏤

揆鏤(ばちる)とは、象牙を赤、青、緑の染料で染め、揆ね彫を施して文様を表す技法のことである。鏤はちりばめるとも読み、細かな模様が特徴。象牙尺や琵琶のバチなど正倉院に伝わる華麗精緻な作品を研究あるいは再現し、また現代感覚を加え、装身具類や茶道具として作られている。

角細工

鹿の角を用いたもの。角きりが始まった3百年前から様々に利用されてきたという。古くから伊勢神宮の遷宮の時に使う弓柄などを制作していた。江戸元禄期には根付や矢立が作られていたという記録が残っている。明治大正時代には家庭用品のへら、箸などが主体だったが、現在は置物や帯留、ネクタイピンなどのアクセサリー類を中心に作っている。

奈良晒

麻皮を糸にして手織りした生平(きびら)を晒した麻布。古事記の時代からのものであるが、桃山時代天正年間に清須美清四郎という人物が晒法の改良に成功し、奈良晒の名声がいっきに高まり、徳川家康の庇護を受けたこともあって武士の裃や夏のひとえものとして販路が広まった。江戸中期以降次第に他国の晒業の発達により独占的地位は失われていったが、その名は残り伊勢神宮の御用達をはじめ、現在は茶巾や、正倉院宝物からモチーフを得たのれん、テーブルセンターなど室内装飾品を制作している。

木工芸

吉野杉、春日杉、檜を材料として指物、挽物、曲物、刳物など多様な技術・技法を応用し、木地の美しさを生かした作品を多数生み出している。古材を用いた香合や炉縁など茶に関するものや、正倉院の宝物を写した物など奈良らしさを意識した物も作られている。

吉野手漉き和紙

国栖紙(くずがみ)として知られる。壬申の乱で吉野に身を隠した大海人皇子が国栖(現在の吉野町窪垣内)の里人に養蚕と神漉きを教えたのが始まりと伝えられている。吉野川の清流で楮(こうぞ)を晒した和紙は、風雅な味と堅牢な紙質で全国的に名を馳せている。表装紙、書道用紙、漆漉し紙などを生産している。特に「吉野紙」と言った場合は漆漉し紙をさす。薄手に漉いた和紙で文字通り漆を漉すのに用いられる。

資料提供/奈良県商工観光館


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